羊の前世(川柳20句)

風上で去る音 睫 夢日記


独裁の空 スタジアムにない季節


いっぺんにかたをつけよう街の犬


訃報収集家の忍び込む議会


バイブルに挿した骨片をください


旧線で目覚める頃にまた来るね


幽霊屋敷で拾うノンブル


「お前なんて嫌いだ」活字を舌で渡しつつ


じゅんすいな奇襲で水を盗んでよ


まだ書かれない序文では彼のまま


青襟にレモンを垂らし逢いましょう


踊り場にあり薄すぎる足


星星の等高線にうなだれる


婚約を破棄するための鹿と森


かろうじて宰相までも持て余す


タブロイド紙でくるむあなたの詞華集


飛距離を測る月面の虫


日記の罫にへつらうなんて


ポケットに羊の前世を縫いつけて


粉飾のほくろ群から朝になる

ライトヴァース(BL(?)川柳20句)

夏だね ふたしかな副詞が揺れている

 

微笑んでライトヴァースの不眠症

 

「太陽を見ないで」 きれぎれの頬

 

憩われて転綴される遺跡など

 

vacant, 星座は今朝にゆるまって

 

猫の額に眼が遠ざがる

 

悔恨に渡る風まで肌の裏

 

反感に至る唇儚くて

 

野菊を渡せば象徴になる

 

風船の彩る日付変更線

 

発熱前は晴れてプログレ

 

ラ行の数だけ手配するから

 

はなぎれにはなればなれのホログラム

 

おやすみの前から語句を揃わせて

 

セロハンテープに性器が増える

 

口唇に心もとない流れ弾

 

Boys in the band, すべて破棄して掠めたら

 

かたい喉、笑ってしまうくらい夏

 

「朝の紅茶の底冷えとかね」

 

汗まみれのシーツに記す18年後の君の戒名

祝日

2019.07.15

 

今日も自然に7時台に目が覚めてしまって、二度寝することもできずにいるとアラームが鳴る。月曜から金曜は毎朝鳴るようにしているから。8時ごろまた眠りについて、結局11時ごろ起きた。適当に雑誌(『ケトル』の渋谷系特集、『子午線』2号)を読んだりしてたら1時くらいになっていて、ご飯を炊いてレトルトカレーをかけて食べた。

天気が悪いし、睡眠の質がひどいのか身体がだるくて外に出る気力がなかったので、ネットフリックスで『スナッチ』と『シング・ストリート』を観る。『スナッチ』はイギリス、『シング・ストリート』はアイルランドが舞台の映画で、高校生の頃はイギリス人になりたかったことを思い出した。パソコンを替えて家でDVDを観られなくなってしまったから家で映画を観るのは本当に久しぶりだと思う。ネットフリックスはなんとなくはじめてみたけれどそんなに好きな映画がたくさんある感じはしなくて、まあ好きな映画を聞かれてもそんなに観てないからあまり答えられないけど、そういう時はたいてい『ハッピーアワー』って答えている気がする。濱口竜介が好きと言うよりは『ハッピーアワー』が好き。映画館に行きたい。

 

今日まだ一歩も家出てないな、と思って7時ごろ外に出た。隣の駅前の本屋に行って、何も買わずに帰ってくる途中スーパーで50円引きの合い挽き肉を買い、ケチャップライスを作って食べた、そのあとでいまこの文章を書いている。

 

SpotifyのプレイリストにMy Summer Rewindというのがあって聴いてみたら、どうも去年の夏私がよく聴いていた曲が集められているらしい。

 

3連休暇だったんだから、期日前投票と美容院に行けばよかったといまさら思っている。前髪が伸びすぎてる。

トマト煮込み

2019.06.15

 

夕方頃することがないから料理でもしようと思って駅前のスーパーで鶏むね肉と玉ねぎとトマト缶を買う。むね肉は安い。帰宅。むね肉をやわらかくする方法を調べる。ボールに入れた肉に酒、マヨネーズ、塩、砂糖を揉みこむ。放置。その間に玉ねぎを一つ切っておく。包丁とまないたを洗って、音楽を聴いたりしていればすぐ十分くらい経つ。そうしたらフライパンにオリーブオイルをひいて熱くなってきたら肉を炒め、適当なタイミングで玉ねぎを入れる。全体にいい感じになったらトマト缶(ホール)と酒を投入、強火で五分くらい煮込む。コンソメ、塩、胡椒、ニンニクのすりおろし(チューブで済ませた。楽)を入れて弱火~中火で十分くらい煮込む。かなり美味しくできた。これくらい雑な料理だと調味料の量が適当で良いのでいい。これは備忘録として書いている。参考にしたのは以下。

 

煮込んで簡単!チキンのトマト煮込み 作り方・レシピ | 料理・レシピ動画サービスのクラシル

 

 

文章が適当すぎるけどまあいいや。

暴投の雰囲気(川柳20句)

うっすらと冥王星にくるまれて

 

雷雲の結果としての 裏切り

 

暴投の雰囲気もあるキレンジャク

 

噴水ごっこで怪我しませんか

 

瞬間に俯瞰している火付け役

 

襖に蔓延る白菜なんて

 

やわらかくしばられていて  木でした

 

直腸の近似値となる星辰図

 

遺文において居座る権利

 

水にしたって引き攣りすぎで

 

緩慢に新しくなる肌 晴れて

 

地下鉄にある(残滓)乱心

 

夕まぐれ幽霊屋敷に置くピアノ

 

液体ならば音叉としても

 

恨みを晴らすための海 青

 

敗残兵のくれた卵は皿に立つ

 

微熱の文法を習って 三度目の夏至

 

棄てられたきりんをふたりで閉じ込めて

 

背信の青空に降る不眠でも

 

群像劇に太古の匂い

断片と散逸――暮田真名『補遺』のために

なにかが起きているのは確かなのだけれど、そのことを感じることはできるのだけれど、しかし、それがなんなのかはわからない。わたしたちはただその出来事の断片だけに触れて、あるかもわからない全体像への手がかりもなく、途方に暮れてしまう――暮田真名の川柳を読むことは、そういう体験だと思う。

 

  そうやって奥歯を撫でていればいい

 

「奥歯を撫でる」とはどういうことなのか不明だが、「そうやって」とあるから、どうもこの言葉を掛けられている者はそうしているらしい。状況はわたしたちにはわからない。想像しようにも材料が少ない。単に言葉があるだけだ。そんな風にして、断片だけが与えられるから、たとえばここでは否定だけで句が成り立ってしまう。

 

  歯みがき粉みたことないよ今世では

  暗くないなら寿司ではないよ

  等高線がどこにもないよ

 

石田柊馬の名句「妖精は酢豚に似ている絶対似ている」に見られるように、身勝手な断言性は川柳の特徴といえるかもしれない。ここでは突拍子もない否定的な断言が「~ないよ」と口語的に書かれることで発話者の偏った性質が際立っている。「今世」では「みたことない」なら前世でならあるのか、とか、寿司が暗い、とはどういうことなのか、とか、「等高線がどこにもない」なんて、なにを見て言っているんだろう、とか、わたしたちはいくらでも反駁や疑問を用意できるだろう(もちろん、詩には反論を書き込む空白が必要だ)。

 

暮田の句の多くは、そうした強引ともいえる飛躍によって成り立っている。俳人の小津夜景は「川柳のパターンのひとつに〈身体性の過剰な改造〉というのがあ」るというのだが、暮田はあらゆる事物を身勝手なほど過剰に改造する。

 

  旅客機を乾かしながら膝枕

  弟を包んで捨てる用の紙

  研究都市に卵を溶けば

 

旅客機を乾かすことと膝枕にはずいぶんなスケール感の違いがあって、しかし「乾かしながら膝枕」にはたとえば子どもの髪を乾かすようなささやかな親密感があり、まるでひとりのひとが旅客機を膝枕してるような錯覚が生れる。「包んで捨てる用の紙」というと、どうしてもガムの包み紙を思い出すけれど、ここで捨てられるのは弟だ。弟が小さいのか、紙が大きいのか。卵を溶く「研究都市」はここではフライパンくらいの大きさくらいしかないのだろうか。

 

  歌謡曲から漣がもげてゆく

  新宿を針が出るまで巻き戻す

  おそろいの生没年をひらめかす

  銀色の曜日感覚かっこいい

  

暮田の川柳のなかでは、音楽から漣が生れ、新宿は巻き戻され、生没年はひらめかすものとなり、「曜日感覚」という通常「ない」という言葉としか結びつかない語は、銀色に輝きはじめる。通常の世界の秩序はここで否定されている。あらゆる事物がたった17音のなかで変容してしまい、ただしそれはひとつの明確な像を結ぶことはない。わたしたちはそのあっけない強引さと不確かさに目眩を感じるだろう。そうした不確かさは、イメージや意味を複数化するために、積極的に組織されている。

 

  いけにえにフリルがあって恥ずかしい

 

現時点での代表句ともいえるだろうこの句で、恥ずかしいのがだれなのかははっきりしない。いけにえの側なのか、いけにえを捕えている側なのか、それとも第三者なのか。そして「恥ずかしい」と思う者と、「恥ずかしい」という言葉を発する者が同じとは限らない(そもそも言葉が一つの正確な意味を持ってしまうこと自体が「恥ずかしい」ことだからこういう風に書かれているのかもしれない、とも思う)。

 

  臨月のレゴブロックが鎮座する

 

着目すべきは「臨月のレゴブロック」という事物変容の奇怪さだけではない。臨月、レゴブロック、という縦の配置が、一瞬、月に照らされるレゴブロックのイメージを喚起する。句を一目見た時の印象と、実際の読んだときにあらわれる意味、異なった像が、私たちの頭のなかで乱反射する。

 

こうした、飛躍とともにある散逸的で曖昧な像の不決定性に、暮田真名の川柳の過激さと現代性がある。「わたしたち詩人は、自らがやすやすと像として結べないもの、不可視との約束を交わしたものであるはずだ。この不可視との約束こそが、「君と世界との戦いでは、世界のほうに支援」することの意味なのではないだろうか。わたしたちは描写するに値するものを覚悟を持って奪われた、だから描写はしないのだ」と詩人の安川奈緒は書いたが、暮田もそうした明確な像の否定から出発しているのは明らかだ。川柳という形式の短さ、断片性がそこで生き生きとユーモラスに活用されているのは言うまでもない。

 

そしてそれらの句は『補遺』としてわたしたちに手渡される。第1句集にもかかわらず、補遺として、この本は作られている。しかしもちろん、補うべき全体性はあらかじめ散逸してしまっているから、わたしたちは、その意味を知ることはできない。ただ繰り返し、暮田真名の断片的な言葉に惑わされつづけるだけだ。

 

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Let Down

2019.05.02

 

朝起きて、やることがなかったので「当たり」の大村さんの短歌の宣伝のための画像をつくった。見た感じおしゃれっぽくなったけど、よく見るとあんまりな気もする。デザインのことはなにもわからない。

 

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改元にまつわるあれこれには本当にうんざりしてる。新宿の伊勢丹には大きく「天皇陛下の即位をお祝いいたします」という幕がかかっていた。どうかしてると思う。

それでイライラして、『三つの革命』を読みはじめる。わかりやすい。昨日上巻を読み終えた『アンチ・オイディプス』を最後まで読み通せる気はあまりしないけれど。

 

松本圭二の『電波詩集』を読み返した。

夜はずっとRadioheadを聴いていた。はじめて聴きとおした「OK Computer」は本当に素晴らしく、泣きそうになった。

年々ナードなロックが好きになっていく。

 

Transport, motorways and tramlines

Starting and then stopping

Taking off and landing

The emptiest of feelings

Disappointed people clinging on to bottles

And when it comes it's so so disappointing

 

――Radiohead「Let Down」

 

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